Thule Magazine vol.17 アウトドアエッセイスト木村 東吉Tokichi Kimura
1958年大阪生まれ。20歳のころモデルの仕事を続けるため上京、雑誌「POPEYE」の顔として人気モデルに。カタログ、広告、TVCMなどで活躍。さらに、都内に越して間もないころに培った料理の腕前を活かし「満腹亭トウキチ」の名で連載ページを担当。95年には河口湖へ移り住み、趣味のキャンプを極め、アウトドア料理のスペシャリストとして多数書籍を出す。現在もアウトドアブームのパイオニアとして、モデルとして様々なメディアで発信、執筆しながら、カヤック教室も行う。2015年には自身のブランド5LAKES&MTを立ち上げ、メーカーのアドバイザーとして携わるなど活動は多岐に渡る。
- 木村東吉のTrailhead:https://open.spotify.com/show/7JTuBtpSjbaU6fEhNNMffx
- Official Site:http://www.greatoutdoors.jp
生まれてから現在のお仕事に至るまでの経緯を教えていただけますか?
-母子家庭でしたので、生活に困っていて、18歳でレストランなどへ食器を配達するアルバイトをしていました。なんでもいいからお金になる仕事を探していたところ、幼なじみからモデルの仕事をやらないかと声をかけてもらい、1ヶ月5本の撮影で、毎日朝から晩まで働いていたアルバイトよりもモデルのギャランティのほうがはるかに高額で驚いたんです。すぐさまモデルを志願。その後、当時大阪でナンバー1だったモデルエージェンシーに所属しました。身体が大きかったこともあって、いきなり大手スポーツメーカーの専属モデルに抜擢されて喜んでいたのですが、撮影をしているうちに東京から来たモデルとの待遇の格差にショックを受けました。彼は1ページの大きなカット。僕らは50カットほどポージングをして小さなカット。おまけに自腹のお昼ご飯だったのですが、彼の昼食代はスポンサーが支払っていたのです!
21日間パスタを食べたこともありました
-念発起し上京を決意し、東京の事務所を紹介してもらいました。ところが、1年間は鳴かず飛ばず。それもそのはず、事務所に行ったら、周りのモデルが本当にカッコイイ人ばかり。これは来るところを間違えたな、と。ぜんぜん仕事が無くて、お金もなくなっていったので、食べるものに困り、いろいろなソースを作ったり、マヨネーズをかけたりして、21日間パスタを食べたこともありました。22日目にチラシモデルの仕事が入ったときは、幕の内弁当を涙しながら食べましたね。その苦しい時代に知恵を絞って作った料理の腕前が認められ、後に雑誌の料理連載ページを担当することにもなりましたが。
モデルの仕事からキャンプに目覚めたのは?
-「もう無理かもしれない」と東京での生活を諦めかけていたときに、たまたま先輩モデルの体調が悪くなり、穴を埋めるべく代打で現場に駆けつけました。その雑誌が「POPEYE」です。そのモデル起用がきっかけで人生が一気に変わりましたね。同じマガジンハウスの仕事で1日6本の撮影をこなすことも。そこから各メンズファッション誌だけでなく、広告、カタログなども増えていきました。アミューズメントパーク、オーディオ機器、自動車などの大手企業のCM出演も決まり、さらにテレビ番組のレギュラーも任されました。ところが、お笑い芸人が多く司会を務める同テレビ番組には馴染めず、半年で辞退させてほしいと言いました。周りには大反対されましたけどね、そこから各メディアの仕事から干されてしまいました。
凹んでいてもしょうがないので、時間ができたのをいいことにキャンプに目覚めたんです。何日もキャンプに通っている間に、たまたまアウトドア関係の雑誌の編集の方に出会い、キャンプでフルコース料理を作るスタイルが面白いと特集されました。今度は、その特集が別の編集者の目に留まり、自分にとって初の書籍「GREAT OUTDOOR-木村東吉流オートキャンピング術」を出して大ヒット。いつの間にかアウトドア界のスターになっていたんですよ。本当にラッキーな人生です。
現在のお仕事について
-現在はアウトドアエッセイストという肩書きですが、モデルとしても依頼があればもちろん引き受けます。引退という言葉はとてもカッコイイのですが、自ら手を引くことはないと思っていて。(とある編集長の言葉ですが。)誰かに辞めろと言われない限りはやるつもりです。
できれば75歳まで現役であり続けたいと。それ以降もシーズン中は仕事をするかもしれませんが、それ以外はヨーロッパを旅したいですね。
河口湖という場所は12月から3月までは寒くて観光にくる人も少ないので、その期間だけ長期の休みが取れます。コロナウィルス感染拡大が始まる前は、アメリカの国立公園を歩いたり、海外のレースに出たりしていました。4月からの週末はカヤックのレンタルやツアーがあるので、キャンプ場に通っています。
1日の過ごし方(スケジュール)やルーティーンをお教えください。
-朝5時に起きて6kmから8kmを1時間くらいランニングするようにしていて、週に2回はウエイトトレーニングを3、40分やって、シャワーを浴びてから朝ご飯。その後カヤックのツアーやレンタルがある時は、僕が以前プロデュースしていた西湖のキャンプ場ノームに行きます。その仕事が終わって、夕方17時になったらお酒を飲みますね。そして、20時か21時くらいに寝るというパターン。日によっては、撮影や原稿の仕事もあります。また、週1回ポッドキャストのラジオ番組「木村東吉のTrailhead」の収録をしています。こちらは死ぬまでやるつもりですよ。
仕事が中心というよりも、料理にしてもアウトドアにしても面白いことを教えたいと思う性格なので、1人でも多くの人に伝えたいんだと思います。
それが自然と仕事に繋がっていくことも。料理をふるまうのが好きだったので、料理ページを作ってくれと言われたし、家族や友人のためのキャンプもそうだし、手作りのランニング用サンダルであるワラーチもそう。最近は、レザークラフトにも凝っていて、冬場も家にいてできるので、色々な革細工を作ってました。今日も身につけているスカーフリング、腕時計の台座などがそうです。
なぜ河口湖に移り住んだのですか?
-OSHMAN’Sのモデルをしていたころ、広告担当の奥さんがミネソタ出身で、そこで行なわれているトライアスロン(カヌー、バイク、ラン)に出ないかと誘われて、一夜漬けでカヌーをやって、90年にボーダートゥボーダーというミネソタ州を縦断するロングレースに出場しました。その時に見たカヌーショップの光景が忘れられなくて。女店主に案内されたショップの裏には川があって、まるで自転車に乗るような感覚で、日常の中でカヌーを楽しんでいる人が居たのです。そこで、河口湖に移住しようと決めました。
アウトドア、ランニング、自転車にハマったきっかけは?
-仕事が無くて困っていたころに、娘が生まれたタイミングもあって、本格的にキャンプをしようと思いました。料理が好きだから、好みの食材で自由に作れるのも良かったんでしょうね。ランニングは、娘の誕生を機に何か大きな挑戦をしたくて、フルマラソン完走という目標を立てました。それから長い距離を走るようになったんです。キャンプ場近くや湖には走るところがたくさんあったのでシンクロしました。
92年にはアドベンチャーレースのレイドゴロワーズにも出場。乗馬やクライミングの技術を覚えて、アウトドアアクティビティを極めていきました。
はじめの自転車はロードバイクでしたが、後に26インチのMTBを手に入れて富士山麓 の青木ヶ原樹海周辺 を走りまわりました。モーターサイクルにも乗りましたが、人力のほうが健康に良さそうだと思って、現在はそれらを手放しました。
ちょうど2年前に、愛用していたMTBをツーリング向けにカスタムしようと試みたのですが、パーツを新しくしているうちに金額が嵩んできたため、新車のほうがいいと判断。クロモリのツーリングバイクを購入。現在はバンライフに連れて積んでいくこともあれば、「5Lakes&Mt BridgeClub」というツーリングクラブを立ち上げたので、年に数回仲間と自転車旅を楽しんでいます。
THULEのイメージはどうでしたか?
-THULEとの最初の出会いは自動車用のルーフキャリア、ベースキャリアでした。それともう一つ、タイダウンベルトは画期的でしたね。今でも愛用しています。引っ張るだけで固定ができて、なんて便利なんだろうと思いましたよ。もともと90年代にカナディアンカヌーにこだわっていたので、車のルーフの上に積むためには、THULEが無いと始まらなかったんです。今は様々なブランドから出ていますが、その当時はTHULEが1番王道という感じがしていましたし、今でもトップブランドのイメージがあります。そう言えば、スノーボードが4枚積めるラックも購入しましたし、今乗っているキャンピングカーにはルーフボックスを付けています。僕がアウトドアアクティビティを始めたころ、日本の感覚だとルーフトップに積んでいる人があまりいなかったから、珍しかったんでしょうね。なんでもかんでもルーフに積んでいましたから。すごくマニアックな製品ですが、現在レベラーセットも愛用しています。キャンピングカーの水平を取るためやダンプするときにタイヤに載せるものなのですが、バンライフに欠かせません。
18歳で車の免許を取ってからこのかた、車にはスピードも、ルックスも求めていないんです。人が乗れる、物が運べる。それだけでいい。だから、物が多く積めるようになるTHULEの存在はとても貴重でした。そもそもキャッチフレーズが「Bring your Life」なので、僕のアウトドアライフそのものですもん。
THULEの2つの製品を使ってみての使い心地などどうですか?
THULE Nanum 25L
-僕は汗っかきなので、バックパックの背中の通気性が1番の特徴ではないでしょうか。最近は誰しもアウトドアにデジタル機器を持って行く時代だから、それらが入れやすいのもいい。水を入れるハイドレーションパックにも対応していています。デザインもシンプルでありながら、中には3つの収納があって、メインのほうはギアとかウエア。小さいポケットにカメラなどのデジタル小物。表側のビッグポケットには汗に濡れたウエアや軽アイゼンなど汚れたものを分けられます。ハイドレーションパックのところはiPadやPCなどを入れてもいいので、海外行きのデイパックには最適です。機内持ち込みもできて、国立公園などの日帰りハイクなどでは調子が良さそうなので、壊れてしまった以前のバッグパックの代わりに、これから旅先のお土産ワッペンをいっぱい貼りたいと思っています。
THULE Paramount Commuter Backpack 18L
-口をガバガバって開けられて、物を入れて、その中身に合わせてクルクルっと入り口を調整するロールトップタイプのバックパックが昔から大好きなんです。横のジッパーを開けて、容量を調節できるのもスマートで気に入っている点ですね。あまり物を下ろさない場合にはバイクパッキングのように自転車専用のフロントバッグに入れてしまうのですが、物が少なくて、頻繁に下ろす時はバックパックが便利かな。まして、街中で使う分には背負うほうがいいと思います。
今日は、A4サイズのPCが1つ入っていて、アウトドアで使えるクレイジークリークのチェアを入れているので、仕事に行くときにピッタリ。家とキャンプ場(カヤック教室があるので)との行き来、PCを持ってキャンピングカーで出かけるときも便利。僕はスマホが苦手なので、メールなど長い文章を書くときはPCを持って行って確認します。
Instagramはできるだけ綺麗な写真をあげたいと思っているのでスマホであげるのですが、Twitterは144文字でしっかり書きたいと思っているので、じつはPCで打っています。
これらのTHULEのバッグを見て思ったのはバリバリのアウトドアではなくて、デジタル機器もうまく入れられ、PCなどを入れるところもコンパートメントになっていて、デザインもブラックでシンプルでしょ。だから、都会でも使えます。アウトドア専用というわけではなくて、どっちも使えるもののほうがちょうどいいと思っていたので、オールラウンドで使えるのはありがたいです。
今後の展望を教えてください
-性格的に誰かに指示を出したり、ものを頼んだりができないほうなので、自分自身でなるべく現場に行って、いろんな人と会って、話しができる仕事をしていたいと思っています。とくに、子どもたちは未来だと思うので、カヤックを教えたり、アウトドアのことを教えたり、そういったことを仕事の一つとして続けていきたいです。
また、現在はアメリカの国立公園を歩くことをライフワークとしていて、以前デスバレーを旅したときにはじめてキャンピングカーを借りたら、宿泊費も込みと考えれば価格も手頃で、快適でかなり楽しめました。新型コロナウィルスが落ち着いてきたら、またアリゾナ、ユタ、ネバダなどを旅したいと思っています。この辺りはかつて海だったところが隆起、侵食を重ねて出来上がった地形なので、まだまだ良いところがいっぱいあるんです。今後はそういったところをTHULEのバックパックを背負って、歩きたいと思っていて。日本国内であれば、瀬戸内地方もまた自転車で旅したいなあ。とにかく、僕にとって旅は人生ですからね!
自分が夢中になっていることがあれば、分かち合いたいと思っていて、共有すると感動が2倍になるので、ソロよりは数人で行く旅のほうが好きです。
75歳までは現役でやるつもりです
-75歳まで現役でやり抜くためには体力を維持することが1番の目標。それを続けるためのモチベーションを保つこと。そこにはチャレンジが必要になってきます。旅でもレースでも。
開高健さんのトークショーに行ったときにサインをいただいたのですが、今でも宝物になっていて。彼の言葉で「森羅万象において多情多恨たれ」は、何においても興味を持って取り組めという意味なんですが、好きな言葉の1つ。いつまで経ってもいろいろなことにチャレンジする人生にしたいと思っています。